iPadとapple pencilはお絵描き入門最高セットだと思う
セブンのお赤飯おにぎりが最強。
ハロー(牧瀬風)、白鬼です。
不意に絵を描きたいな、と思ったんです。
日本に帰国してから携帯代の高さにびっくりして、もう5年くらいタブレット&ガラケー&WiFiで世間とのつながりを保っているんですが、タブレットのその性能もあがり、去年発生した「お絵描き欲」と「iPadProのちっちゃいバージョン」「アップルペンシル」の発売も相俟って、時間が空くとお絵描きをする事が多くなりました。
特に目的はなかったのですが、せっかく白鬼って名前でやってるんですから、そのキャラというか、マスコットみたいなの欲しいなーって思って描いてみたり、サムネもオリジナル楽曲はジャケットを描いたりと音楽制作にも活きています!
ニコ動なんかでボカロ楽曲やってるひとなんかは、もう動画と絵と曲がなくてはなかなか聴いてもらえないですもんね、とりあえず静止画数枚でも自分で描くぞ!って絵心をもっている方は手軽なんでおすすめ。
そのまま動画編集もできますし。そう、アップルならね。(どや
フリーのアプリでもよかったんですが、リサーチすると良さげな
「procreate」を購入!
レビューが良かったのもあるのですが
その価格なんと720円!!!
やっす!!1時間働かなくても買える!!(フリーターの思考回路
最初は真剣にPCのハードでペンタブレットみたいなのの購入考えてましたけど、DTM機材が邪魔して置けない。
置かないときっと棚から出すのが億劫になって使わなくなる。。。
怠惰な自分をよく知っていたので、躊躇してたんですが、いつでも手元にペンとタブレットあるしソフト起動も早い。
こっちだ!と迷わずこうにゅうですよ、はい。
上位版もあるみたいなんですが、とりあえずお絵描きソフト欲しいだけの私にとってなんと優しい価格!
デッサン力とかないので、何回も消せるデジタルでのお絵描きは夢のツールでしたからね!undo(一個前の動作取り消し)が指二本で叩くだけでできるのも最高によかったです。しかも無制限。
いい買い物です。
「レイヤー」っていう素人には「なんだそれっ」て機能なんですが、初めてこういうソフトを触る私にとっては画期的機能でした(笑)
※DAWでいう再生ボタンくらい普通の機能らしいです
簡単に言えばというか、名前のとおり、どんどん新しい紙(透明)を重ねていけるんです。(重ねる順番も修正できるし、レイヤー同士の合体も可能)
最初に線だけかいて、次のレイヤーで髪の色、次のレイヤーで肌の色みたいに、消しゴムを使った時にまちがって線を消したり隣の違うところまで消したりという事故がない!!
最初の三日くらいおっかなびっくりでこの機能をさわらず、「なんだこれ、超描きにくいな」と殺意さえ芽生えかけたほどでしたが、しってからはすっごく楽に絵をかけます。
鉛筆で下書きして
ペンで線画して各パートのベースの色決め
ハイライトとローライトとぼかしたいところを右上の指のマークでワシャワシャーってやれば
みたいに、どんどん重ねて、下書きは最終的に非表示にしちゃえば、
「なんかあれ、俺絵うまくね?」
って勘違いをおこすくらい背伸びできます。褒めて伸びる子(自動
私の本来の絵心をりんごの左下が凹んでしまっているところで感じてもらえてると思いますが、これを実際に書こうと思ったら1日かかる。くらいのレヴェルです。
レヴェルがぁぁ ちっげぇぇぇんだよぉぉ!
ちなみに、このりんごは5分ほど。
人物を描く時も、手とかめっちゃ難しいじゃないですか!
いつのまにか指6本なっちゃってたりして!
関節5個くらい多かったりして!!
でも画像挿入できるんで難しいパート、不得意パートは実際の手本をひろってきて下地に書けちゃいます。まさに外道!!!
下の絵は3月くらいに描いたものになりますが、それまでに練習して色々な絵をみて学んだせいか上のりんごから想像できないくらい上手くかけたんじゃないかなー、と自負しています。(退化)
※どっちも12時間くらいかかった!!
なんせ背景がかけないですよねー、遠近感!!!あと服!!!
かわいそうに、布一枚だよ!どこの石像だよ!
もっとデフォルメされたかわいい白鬼子ちゃん(仮)をかいてラインのスタンプ作ってみたい!!とか思ってるんですが、そもそもラインでスタンプ使う相手いねーーーー
はぁ。
夢と絶望が広がりんぐですね。
悲しみなんて強さになったらもう勝ちですよ
気軽にお絵描きしたいタブッレッターの皆さんにぜひおすすめにゃん
ではではノシ
オーディオインターフェイス UR44
今更24(海外ドラマ)にはまっており、全てのニュースが陰謀にしか思えません。晩御飯はいわしフライの白鬼です。
前回に引き続き、DTMを始めるときに最初に揃える三種の神器、DAW、ヘッドフォン、オーディオインターフェイス。自分が使っていますDAWの「CUBASE」のレビュー的な物を書かせていただいたので今回はオーディオインターフェイスです。
(前回の記事はこちらから)
今回オーディオインターフェイスですが、電気屋さんや、楽器屋さんに行ってもたくさん置いてあって、店員さんに視聴させてもらったり話を聞いたりして決めました。
その名も「steinburg UR 44」
※公式の商品ページです。
こちらも結果からいうと
めっちゃええやん
です。
不満な部分は一切なく使えてます! CUBASEとの親和性もあって、スタンドアローンで立ち上げなくても、コンソール画面で内臓FXの設定とルーティンいじれるのでストレスフリーで直感的に使えて満足です。
持ち運びも簡単なので、実家に帰る時に音楽友達とのセッションやレコーディングの時に重宝してます。Hi-zは2チャンネル対応できるのでギター&ベース、ドラムパットでセッションしたやつを録音できます!
もっとチャンネル数多いものを考えたのですが、この大きさが持ち運ぶ時も便利で、重宝しています。
アウトプット、インプットの数もそうですがヘッドフォンも二つ繋げるので、ヴォーカルのみのレコーディングでよく、防音プレハブルーム?(電話ボックスみたいなやつ)を使用するのですが、中の人とお話ししながらレコーディングできる環境をつくるのにちょうどいいです。
DTMやってて、ボーカル録りを考えている方なんかはインスタントに万全なレコーディング環境つくれてとてもいいですね。
ボーカル録りでも、「ダイレクトモニタリング」をオンにすれば
レイテンシー(音の遅れ)なくモニタリングできて、
ボーカルさんのストレスなくいつも通り歌える環境づくりもできてすばらしいです。
ニコ動やユーストなんかで配信やろう!ってひともループバック機能が付いているので公開レコーディングとか、ラジオ的なことだったり、色々なやりたい事が後から出てきても対応してくれる!持ち歩けるし!!
選んだ基準としてはですね、プリアンプによる音の味付けが少ない事。前面に操作パネルがある事(おうちのレイアウト上)でした!
味付けはあとから!
素材をそのままに!
USB4.0で新シリーズでるのかなー、でたら悩むなー
でも、きっとこれ一生使える機材だと思います。
でわでわーノシ
Steinberg 6 x 4 USB 2.0 オーディオインターフェース UR44
- 出版社/メーカー: Steinberg
- 発売日: 2014/01/27
- メディア: エレクトロニクス
- この商品を含むブログを見る
公式でマイクとUR22mkⅡ、ヘッドホンのセットパックも販売してるみたいなので貼っておきます(知らなかった)
CUBASEってどうなの?
失敗したくない!!
DAW、ヘッドホン、オーディオインターフェース!(適当
その中の一つでもあるDAWはDTMを始めるにあたって最初に悩むお買い物だと思います。
やっはろー、プロの初心者白鬼です。
この課題、僕も悩みましたよ、えぇ。
PCがMacなので、このままGarageBandからlogicに移行しようかとも思いました。(やすいし)
ググって見れば、どのDAWも「⚪︎⚪︎系音楽ならこれ」みたいな紹介があるんですけど、音楽作りたい!とは思ったものの、どんな音楽作るかなんか決めてないし。
どんなサイトを見てても、決め手に欠けました。
じゃあ、僕がなぜCUBASEを選んだのか!!!
見た目がかっこいい!yamaha?うん、知ってる!!以上!!!
本当にそれだけで決めました。
なので、ここでは実際につかって2年になるCUBASEなんですが、その感想を。
そして、それが参考になればいいなと思います。
現在はCUBASE9(2017.6月現在)が最新バージョンですが、今私使っているのがCUBASE 8 artist。2世代前です。
最後についているartistはソフトのグレードですね、どのくらいの機能が使えますよ!
っていう。
悩みますよね。
お財布と相談して、魔法のカード召喚しちゃおうか悩んだりしましたが、「とりあえず真ん中!機能みてもよくわからないし、真ん中!」ってことで、ARTISTを選びました。
結果から先に言えば
絶対pro買った方がいい。
本当にそう思います。
Artistには「必要な機能の厳選」とありますけど、ピッチ修正の「VariAudio」がないことが最初ショックでした。メーターもRMS値が見れないのでショックでした。curve EQってソフトはデモ版で立ち上げるとDAW落ちるし。画面をフルスクリーンに出来なくて、ミックスダウンするときの画面の書き出しボタンがDOGエリアに隠れて押せない!(ずらして押す。)
他にもArtistは痒いところに手が届かないように厳選されてます。
痒いんです。「これ欲しかったよー」っていう。ムヒー きんかんー です。
名前がproって「いやちょっと趣味の延長でして。。。」という僕みたい人は遠慮してartist行きがちだと思いますが、pro買った方がいい!
pro目指す人は、そっから買い足せばいい!し、他のDAWも買って曲によって音によって使い分けるんでしょ? と思います。そもそもプロ目指す人はこのブログ来ないんじゃないか。
じゃあ、一体全体ARTISTはどんな人向けなのか。
PCスペックが自信ない趣味で音楽制作する人用だと思っています。(超個人的見解)
自身のaboutページにも書きましたけど、僕のPCは古いのもあるけれどスペックでいえば全然! と思っていましたが、最近DAWの落ち方はんぱじゃない。
yamahaに相談して改善策とったけど、パフォーマンスメーターすぐ赤ついちゃうんですよね。
ソフトの進化にPCが追いついてないのかなぁ、なんて思ってます。
メモリ16G以上は欲しいところです。
なんで、僕のPCより同等もしくはそれ以下はそもそもきちんとソフトが動かない可能性あるのでARTIST以下。それ以上のスペックならproがいいと思います。(実際使っている感想として。)
というか、ラップトップはREC向かうときだけにして、お家ではデスクトップ型が理想ですね。
12月発売のiMacPro欲しいですね。
12月誕生日なんですよ?僕。デュフフ
なのでグレードの選び方的には、PCのスペックいい人は何も迷わずpro。
自信ない人、お金ない人はARTIST。
ギター録音して、「弾いてみた!」とかとりあえず、「歌ってみた!」とかやりたい人はelementsで!MacならGarageBandでおけー!
という、超個人的見解です。
企業的にはpro買って欲しいわけですから、その下のグレードは上のグレードが欲しくなるよう上手くつくられていますよね。(ゲス顔
そこに負けない強さが必要です。(はい、私は負けてソフト課金貧乏だお)
今でこそ、毎日曲作りをしていますが、始めたての頃は苦痛でした。曲作りが苦痛なんじゃなくて、思った事ができない!ソフトがない!! とかです。
僕は楽器が弾けないので、全部打ち込みだったのもあり尚更ストレスはんぱじゃなかったです。
DTMは初期装備高いわりに離趣味率も高いので、ストレスフリーな環境が大事です!
そして、曲にあった音やできる事があるのは必要ですが、決していい曲が生まれるかどうかはDAWが原因じゃないです。
他のDAWはわかりませんが、とりあえずCUBASE使ってて不便な事は「ARTIST」を選んだからであって、ソフト自体はわかりやすいし満足しています。
控えめに言って大満足です。
DAWが使いやすくできる事も把握しやすいので、出来た曲に問題があれば自分の処理が間違ってる、と自然に思わせてくれます。
機材だけ、ソフトだけ買ってそれを出来ないせいにする人にはならないDAWですね。
いい曲っていうのも、自分で聞いて乗れれば、鳥肌たっちゃえばそれはいい曲です。
有名な誰かが「いい曲」といっても、有名な誰かが「最近のお気に入り」とつぶやいたって、それがいい曲か決めるのは自分ですからね。
また、コードアシスト機能のおかげで、作曲入門から入った私は、便利なメモ機能として使っていました。
でも、エレクトロ系制作にはもともと入っているオーディオ少ないんで買い足ししたりしましたけど、曲を作る上では満足していますし、今はソフトも揃っているのでストレスはないです。
アイディアだけか、足りないのは!!
問題は自分!それが一番もんだいですっ*\(^o^)/*
昨今のダンスミュージックブームはすごいですから、そっからDTM興味もったひとはFL studioとかableton liveとかが第一候補かなと思いますが、わかりやすさとできる事の多さを兼ね揃えたCUBASEも是非!
ともあれ買う前にお試し版をダウンロードするのが吉ですね(しなかった奴が言う)
最後まで読んでいただいたのに参考になってない不安しかありません!←
でもまた書きますね!ノシ
Steinberg スタインバーグ DAWソフトウェア CUBASE PRO 9 通常版 CUBASE PRO /R
- 出版社/メーカー: Steinberg
- 発売日: 2016/12/09
- メディア: エレクトロニクス
- この商品を含むブログを見る
自己紹介(途中から飽きてノベル風) その②
長くなった第1章。 最初は「どうもー白鬼ですー」で終わるはずだった自己紹介。 書きすすめるうちに記憶とリンクして、溢れてくる当時の思い出。 平凡な人生ではなかったが、サクセスストーリーも、おちもない現在進行形の過去を、時間がどうしてもあまった!リゼロの更新が待てない!なんか読み物!という方。どうぞ。
※後にイギリス行った時の写真。旅行中の写真はデジタルデータでは残ってない。
雲と空が混ざるイギリスを後にし、日本に帰国。
行きの段階で服でパンパンだったスーツケースは、たった一回の使用で傷跡があちこちに出来ている。荷物を預けた際についてくる航空会社のタブがちょっと誇らしくて、外すのがもったいなくて今でも付けてある。(ロストバゲージの原因にもなるからだめだよ!)
土日に合わせて帰ってきたため、ゆっくり荷解きができた。
思い出すのは、異国の文化、そこで受けた衝撃。そして、美容学生の生活からはじめて学校が抜けて力が抜けたような。そんな安堵感に浸っていた。
人と意見を交わす事。誰かと仲良くなる事。教えを乞う事。
それじゃだめだとルールを決め過ごした今までが、虚ろいだ気がした。
まだ若く、自分の考えに対する自信があり、それを曲げない事が良い事だと思っていた。だから、研修で思い出した心地よさは、楽な方に流れる言い訳を頭が探しているんだと思った。
そして、自分の中の「望んで身を置いていた、自分の希望だった」今の環境は「望んだものと、希望するもの」の違いに葛藤していた。
なにも、何か投げ出さないと両方得られないのかというのは、そういう事ではない。単純に誰もしらない。だから、誇示したい己の中だけのプライドがあったのだ。
Maki X Taiki Feat. Muro - バスドラ発~スネア行 "日本語ラップ".mp4
Muro - 半透明 (Flutemental) "日本語ラップ".flv
※このころまだまだhiphopが好きで、同じものを長く聞くのでMUROは本当に擦り切れるくらい聞いた。昔はiTunes Storeであったのに、もうないね。円盤でぜひ聞いてほしい
研修旅行が終わって、まもなく。国内の美容学生のための全国規模のコンテストの詳細がアナウンスされた。主催がヴィダルサスーン。 まずは校内予選が行われる。
実際にモデルをつかって、衣装まで含めたトータル審査である。
それまでも、小さいものも含めれば大会は何度かあった。 こんだけ技術を磨いていたにもかかわらず、出場する事はそれまで一回もなかった。なぜなら、人に評価されるのが怖かった。あれだけ練習してるのに、結果出ないとか才能ないんじゃない?と、言われるんじゃないかと。最初のテストで、悔しい経験を出来てそれを糧に進んできたのに、練習するたび自信が無くなる。強くなる。プライドが大きくなる。 大成しないやつの典型だった。
「なぁ、白鬼。一緒にこの大会予選でてみいひん?」
赤鬼だった。
帰国してからというものの、同じクラスという事もあり練習を一緒にしたりする事もあった。飯を一緒に食べたり。実技以外の練習をしてる時はもっぱら英語の単語を覚えていたので、会話という会話はあまりしなかったが。
「僕じつは、最近課外授業で放課後メイクも習いにいっててん。ヘアーもメイクもできるのは強みやと思うからな。マネキンだとメイクあらへんし、これは出てみたいわぁ。」
「うん、いいよ。でてみよっか。 優勝は研修旅行行けるってよ!」
メイクを放課後に習っていた赤鬼に驚きはしたが、「一緒に」というワードが「結果が出なくて恥をかくという緊張感」を薄れさせ、すぐ返事をした。
高校生の時に、スケッチブックにグラフィティを描く事をしてた習慣からか、美容学生になってからはスケッチブックにはヘアーデザインのデッサンがたくさんあった。
ただ、どれを見てもメイクのデザインはなく顔は十字線があるだけで、髪だけだった。いうまでもなく服のデザインもない。
素直に赤鬼の、自分にないところを教えを乞い学ぶ姿勢はすごいな、と思った。
※この頃、休みの日に聞いていたのが久石譲さん。特にこの曲。ゲームミュージックみたいなオーケストラ音源が大好物で、サビの入りなんか今でも鳥肌がたって泣きそうになる。音楽ってすげー
出場を決めた後の最初の週末。 とりあえず、デザインを決めようとスケッチブックと睨めっこした。 そのコンテストは自由デザインではなく、デザインに関するルールがあったため、デザイン自体はしやすかった。
ただ、衣装、メイクに関してはアイディアがさっぱりでてこない。
とりあえず、本を読み漁った。デザイン、ファッション、メイク、生花、文字のフォント集、etc...デザインと名のつく分野色々なものを読み漁った。お金は相変わらず練習台に消えていたため、大型書店でひたすら立ち読み。(書店さんごめんね)
どんなものでもいいからアイディアが閃きを追いかけた。
※この頃好きだった映画の一つ。 外で物思いに耽るとき聞いていた。その中でもlistenのビヨンセの歌声は身震いするほど感情が乗っかっていて大好き。
どんどん日付が迫り焦っていた。
綺麗に切れてるとかとは違う。 なんでそれを私が作ったかという理由。アイディアが全く浮かばないわけではなかったが、納得はしなかった。
こんな風にかくと、全く息抜きもせず一心不乱に練習をして。。。となってしまうが、もちろん自分なりの息抜きがあった。
京都に行くこと。 大阪の京阪線沿いに住んでいたので、安く気軽に京都に足を運べた。紅葉や桜のシーズンは足が遠のいたが、月一回は行ってた。
アイディアに悩まされたので、京都に答えがないかと休みに出かけてみた。
いつもいつも回るルートは一緒。
お昼前に出かけ、四条で降りると錦市場で買い食い。奥にある海鮮炭焼き屋で一杯。
その後、建仁寺(風神雷神の屏風があるところ)に行き日が傾くまで縁側でぼーっとす
る。
※京都に行く予定あるかた是非!
建仁寺 The Oldest Zen Temple Kenninji
今のように、iPadもなく携帯もたしかガラケー。タバコを吸うこともない。 iPodを片手にヘッドフォンでお気に入りを聞きながら。 でも、移動中とかに音楽を聴くのがあまり好きじゃないので、それも休憩いれながら。
ただただ、考えに更けた。
自分が何が好きで、何を伝えたいのか。 技術はまだまだ足りない。ひとつの美容学校という狭い世界で一番になれないのだから、それは否応なしに自覚していた。
当時は、和物がとても好きで、私生活でも着物の夏用の羽織をきたりしていた。
指針としては和物モード。よくありそうだけれど、崩しすぎると下品になるのでクラシックとオリジナリティを同時に表現するには。。という課題はあった。
ここまでひっぱって、あれだけれど、出来上がったデザインは「そのへんにありそう」ではあった。
けど、その時の自分が最高に表れていた。
そして、イメージが固まっていく。
足していって、足していって。最後に引けるだけ引いていく。今も変わらない私のデザイン法。
デザインが決まったところで漸く気づく。
完全に一人では間に合わない。メイクを授業でやったにしても、基礎の道具を持っていたにしても、そんなクウォリティではだめだ。
赤鬼もモデル探しに四苦八苦しているようで、アイディアの相談はしにくい。
衣装は、裁縫はなんだかんだできたので、素材と時間があれば完成できる。
最初はだいぶ悩み、生まれて初めてデパートの化粧品売り場で発色のテストを繰り返し、使いたい色や物はそろえた。
そこから、落とし込むのにどうやっても自分じゃ上手くいかない。
決意した。誰かに助けを乞う事を。
ひたすらに、「自分らしさは。」とか言いながらデザインしてきたのに、最終的に他者に任せる事がダサいとおもった。 ただ、完成に近づくには日付が足りなかった。
1年以上過ごして、校内に名前まで互いに認知している人は片手で足りるくらいしかいなかったので、まず、誰がメイクできるか。そこからだった。
その中の少ない一人でもある隣の青鬼ちゃん。 メイクも濃いめ。赤鬼とも親しく最初の一人としては素晴らしい距離感。
「なぁ、青鬼ちゃん。 今度の大会のためにメイク誰かに頼もうと思ってるんだけど、メイク専攻もしくはうまい子しらない?」
この時の青鬼ちゃんの顔は忘れない。「鳩が豆鉄砲を食ったよう」とはあの顔だ。ぜったいそう。 鳩に豆鉄砲喰らわせた事はないけれど、絶対そう。
「意外やなぁ!白鬼が相談してくるなんて。 俺はみんなとちゃうねんでーオーラ満載やから、そういうの出来ない子なんやなぁ。思ってたわ」
終始、笑いながら毒と棘を垂れ流す彼女に「最初に話しかけるにはいい距離感」だと思った過去の自分を思いっきりなぐった。
この頃、自分の考えに固執する方ではあったけれど、人を論破したり、否定したり、そういう事で見下して自己保身して満足したりはしなかった。 ずっと、やってきた自信はあったけど、結果が出てないので誰かを下に考えたりっていう発想にはいかなかった。
でも、そんな風に思われてたのはなんかショックだったし、「ちがう!」と反抗したくなる所だったけど、その感情は抑えて素直に相談した。
「いつもは、なるべく自分でってやってきたけど、できない事で表現したい物があるともう手に負えなくて。都合いい話なんだけど、誰か手伝ってくれそうな人いないかな?」
なるべく、下手に。下手に。
「都合いいなんて誰も思わんよ。うちは不器用な子なんやな。とは思ってたけど、ガンバってるのはみんな知ってると思うで。絶対助けてくれるって。うちのクラスだったら黄鬼とかええんちゃん? 自分のメイクもめっちゃ濃いし、メイク専攻してやってたで、確か。私から話そうか?」
なんだなんだ、この子は。 観音様とかなのかな?母性半端じゃない。 「おかーさん!」と間違って読んでしまいそう。いや、土地柄「おかん!」だな。
「ううん、ありがとう。自分で頼んでみるよ。 黄鬼ってどの子?」
「ほんまに聞いてるん?!最低やで、白鬼。 もう半年ちかく同じクラスなのに名前くらいおぼえーや! ほんまワザとじゃなさそうやから、なおさらあくどいわぁ。」
と、おかんに怒られながら黄鬼の情報をもらい依頼に向かう。
人見知りは年を増すにつれ増していったが、この頃はそうでもなく話しかける事自体は全然苦じゃなかった。
黄鬼は「THE 原宿」みたいな容姿だった。
髪は白に近い金髪で、ボブ、チークがまん丸濃いめ。肌は白く青いくらい。じゃらじゃらとバックにアクセサリー?おもちゃ?がついていた。
「黄鬼さん?ちょっとお願いがあるんだけど。。。」
他のクラスメートと話す黄鬼に声をかける。
「お、え、うち?どないしたん?ていうかおはよう!」
思っていたより低い声。
「おはよ。今度のコンテストでメイクさん探してるんだけど、助けてくれないかな。 時間なくてメイク今からできなそうで。手伝って欲しい。」
「うん、全然オッケーやで! つーか、遅ないもう2週間くらいちゃうん!そういうのはよしなあかんで!」
「やったやん、黄鬼! メイクやりたいっていってたもんな!」
隣にいる友人Aがいう。
自分が人に頼むのを躊躇していたのがあほみたいなくらい、すぐの返事に「え、こんなもんなんだっけ」というのと、「え、そんな軽くやってくれんなよ。」という不安があった。
「で、デザインとモデル決まってるん? 道具の関係もあるし近いうちに打ち合わせしよか。モデルさんの肌色もみなあかんし。 よっしゃ、がんばろっ!」
ノリで引き受けたんじゃないかという疑念を持ってしまった事が申し訳なくなるほど、急にスイッチがはいったように手帳を取り出しスケジュールを確認する黄鬼。
「モデルはこの子。デザインはこんな感じ。こんな感じの色使いたいって思って色々先週メイク道具は買い込んだけど、目元のこの色だけどうしても納得するような色がなくて。。。」
趣味で色彩検定やパーソナルカラー検定など、「どういう人の肌色には、どういう色が合う」という勉強をしていたので、色にはというより、デザインを考える上で一番最初にモデルを決め、化粧品やデザインの色は決めていた。
「この色なら、多分日本舞踊とかの化粧品屋さんいったほうが納得できるものあるんちゃうかな。」
目元には芸妓さんのメイクでよくある朱にちかい赤のラインが目立つシンプルなもの。
※こんな感じ
早くも自分にないアイディアがでた。
「デパートの化粧品でいったらコンテストとかは発色命やしM.A.Cとかがいいとおもう。打ち合わせの時買った化粧品みせてもらっていい? 気に入ったら買い取るで!うち京都やし、そういうお店あるところわかるで!」
知識があった。はるかに自分より。
「肌見てみなわからんけど、ファンデはbobbibrrownでそろえてるん。 打ち合わせの日はモデルさんすっぴんでくるよう言ってもらってええ?べつに首の色とかでもいいんやけど、コントロールカラーがうんたらかんたら」
もはや、何をいっていたかあまり覚えていないが、彼女の頭の中で必要なタスクがどんどん並べられていき、ものの5分ほどで、しなければいけない事、必要な事、もの、日程が決まっていった。
考える時間を大事にしていたのと、いつまでにどれだけの技術や知識を得る。というタスクを1日の中、期間の中に設定せずに、ただもんもんと黙々とやってきたので、この黄鬼の段取りのよさはあっけにとられ、信頼を託すには十分だった。
そこから、日々のやらなければいけない事が明確なので当日まではあっというまに時間が過ぎていった。
※当時アイディアを絞るのに流していた曲の一つ。FFシリーズのサントラは本当に好きで、考え事はもちろん帰宅したら家にバラムガーデンの BGMが勝手に流れるシステムを今だに作りたいと思ってる。
コンテスト校内予選当日。
毎月の実技テストや、学校の面接など、実力を試される機会というのは多々あったが緊張や気負いは全くなかった。
ただ、この日。 この日まで、費やしたのは自分の時間だけじゃなかった。黄鬼、モデルの子。教室で衣装作りをしていたら青鬼も手伝ってくれた事もあった。
自分だけの日じゃなかった。 それだけで、心臓がうるさかった。
実際、その施述中の記憶はほとんどない。汗をたくさんかいた事だけ覚えている。
スケッチブックから出てきたそのデザインは、自分の想像したものより好きだった。
誰かと何かを作っていく。 予想もできない閃きが作品を輝かせたんだと思う。自分の作品で感動したのは初めてだった。そして、時間を労力を捧げてくれた、支えてくれた人に感謝した。 そして、何としても勝ちたかった。そこにいたみんながそうだったとしても、その思いは一番だと思った。
順番に発表される通過者の番号。
若い順に呼ばれていくので、自分の番号が飛び越されたらそこで終わり。
どういう顔して待っていればいいかわからなかった。 隣をみると黄鬼は手を合わせ祈るように目を閉じていた。 モデルさんも同じ。
その光景が不思議だった。
人のために祈る事など、今までなかったから。
自分の番号が近づく。
「40番。白鬼」
私より先に高い声で喜ぶ黄鬼とモデルさん。部屋のうしろから青鬼の声もする。
隣に赤鬼がいた。一緒に申し込んだため番号も隣同士だ。
「41番。赤鬼」
「だぁああああしゃぁぁ。」
普段から声も背もでかかったが、感情が乗ったその叫びはうるさいとは思わなかった。
耳で聞くというより、心で聞くような叫びだった。
最後まで座ったままだった。
意外と嬉しさがこない。 嬉しさより、安心した。一時的なものだったとしても、共に歩んで応援してくれた人が喜ぶ姿に安心した。
「いくで、白鬼!」
通過者はモデルと一緒に前にでる。
ようやく立ち上がって、前へと赤鬼とすすむ。
全員呼ばれ前に全員がそろう。顔を上げて前から部屋をみる。
泣く人、空な目をした人、顔を手で覆い動かない人。
あぁ、みんな一生懸命なんだ。 なのに、普段普通に生活を送っていて、何かをあきらめる事や捨てる事もせず、その中で努力してるんだ。すごいな。悔しいだろうな。
そう思った。
実感がわかなかったし、今まではそちら側だったから余計になんか辛かった。いい人ぶるつもりもなく、「私がここにいていいのか。私なんかより頑張った人がいるんじゃないか。」と思った。
赤鬼が喋らないでいるので、不意に気になった。
となりででかい肩を揺らし泣いている。おとを漏らさないよう、涙を見られないよう、手で顔をおおいながら。
「おめでとう、赤鬼。よくがんばったな!全部、自分でやったとかすごいな、本当に。」
さっきまで、あれだけ自信のあった自分の作品が見劣りして感じられてしまう。
「白鬼こそ、ほんまよくやったで!お前がいなかったら、俺ちゃんとやれてたかわからん。諦めないで毎日あれだけ練習してるやつが近くにいなかったらこれでいいかと終わっていた部分とか妥協があった。 けど、そうせずにやり遂げて結果出せたのは白鬼が隣でがんばってたからやで!ほんま、ありがとう。そんで、おめでとう」
なんか、その言葉はその時すごく嬉しくて。でも噛み砕けず、飲み込めずなんて言っていいかわからなかった。 頑張るのは結局自分だし、周りの環境で変わる事は微微たるものだと思っていたのに。結果として言えば、感謝されてるこの状況に。
モデルでの審査なので、もともとの毛質やプロポーション。髪型のデザインに一定のルールがあったので、似合い性とかもふくめ、モデルの採点の割合も必然的に高くなる。
いいモデルさんに恵まれた。そして、一般ではなかなかしないクラシックな髪型に髪色だったのに、快くプライベートでカラーの時間をふくめ割いてくれたモデルさんにも感謝でいっぱいだった。
「モデルちゃんもありがとうね。時間いっぱいとらせちゃったし、本当に申し訳ない。おかげで初めて結果がでて。。。」
モデルさんも肩を上下させながら泣いていた。目の周りなんてアイラインとマスカラが落ちて真っ黒。
「おめでとうございます。 本当に一生懸命がんばってたから。こんなに頑張って結果でなかったら、絶対私のせいだと思って。みんなモデルさん綺麗な人ばかりだったし。怖かったから。でもよかったよぉぉぉ。」
とさらに泣いてしまう。
みんな一緒だ。みんな自分に自信なくて、不安で、でも自信あるように見せてないと潰れそうで。 その中で、小さなことでも身近な人だったりが支えになって今日ここに立っているんだと。
だから、勝ったのに後ろ向きでいるのはやめよう。 勝ったのに自信ない顔してたら、あの日の悔しさが向かう先を失う。
「白鬼くん、おめでとう」
隣にいた同じクラスの子肩をたたき祝福してくれた。
「いつもめっちゃがんばってるし、今日見た作品で悔しいけど一番好きやで。ほんまおめでとう」
名前さえ知らない人が、私のことを知っていた。作品を評価してくれた。
今まで自分が自分より上位の人たちの作品にそこまで素直になれたことがあっただろうか。
認めてもらえた。今でこそ承認欲などという言葉がSNSの普及ともに広がっているが、それ自体は昔からあったんだと思う。
その時認められた気がした。誰からというわけでなく。この世の中に、自分という唯一無二の人間がいることが証明できた気がした。
自然と涙がでてきた。 嬉しくて、今まで何の為に頑張るかもわからなくなりそうで、悔しいなんていつの日か思わなくなって、「それは才能のせいだ」なんてダサい言葉で自慰して。
多分、あの日私はもう一度生まれたのだ。
(続く。。。。。ナゲェよ!まだ一個もDTM関連記事かいてないけど!!)
- アーティスト: MURO,DE LA SOUL,t-Ace,BIG-O,YOUNG CHRIS,BIG Z,TWIGY,S-WORD,PRODIGY,HIPSTER,GHOSTFACE KILLAH
- 出版社/メーカー: トイズファクトリー
- 発売日: 2006/11/22
- メディア: CD
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※この大会参加から参加後によく聞いたアルバム。作中のt-AceさんのTrail Blazerは今聞いても震えるかっこよさ。捨て曲はなく、随所にmuro氏のセンスあふれ、かっっこいいサンプル。lunch time speakxも参加してて水戸(ホームタウン)的にも熱い一枚。なおiTunesにはない模様。
次へ→自己紹介(途中から飽きてノベル風) その③ - DTM初心者のブログ
自己紹介(途中から飽きてノベル風) その①
※その時代、その頃を思い出す楽曲を添えながらノンフィクションとフィクションの狭間を漂いながら書いていきます���(´Д` )※
1987年この世に生を受けます。生まれたいか生まれたくないかの希望調査は無く強制的に排出です。
6歳 親の勧めでヤマハピアノ教室に通います。初めて話した言葉が「器用貧乏」な私ですが、なんと1年続きました!「将来やりたい事が出来た時に、興味があるものが出てきた時、できない事が一歩を踏み出さない理由にならないよう」という教育指導があり、様々な稽古事をやったわけですが、ほとんど半年続かず辞めていってしまった。その中ピアノだけ一年続くという快挙。
しかし、その一年間はずっと「ぶんぶんぶん」をいかに早く弾けるかに時間を費やし、今でも10秒で全部弾き終えます。
コンサートホールでの発表会でも緊張を跳ね除け10秒を切るタイムを記録したのですが、そこはまだ6歳。緊張があったのか、鍵打が弱すぎて最前列にいた母も「いつ弾き始めていつ終わったかわからなかった」といわせるほどの「閃光のピアニシシシモピアニスト」でした。(ピアニシシシモは極極々弱くという意味)
その頃、虫研究家になるのが夢だった私はその才能を破棄し音楽から退き、毎日虫取りに勤しみます。
6歳上の姉がいたのとTVがあった(今はもう10年以上TVの無い暮らしをしています)ので、CDセールスが握手鍵を付けなくてもミリオンを叩き出していたあの頃の流行った音楽達は生活の傍らで流れていました。
姉の音楽の趣味の影響は色濃く、「CHAGE&ASUKA」「GLAY」「B'z」とまったく同じ趣味をなぞっていった一方、姉も興味を示さなかった「リッキーマーティン」を移動中もウォークマン(カセット)で聞くという洋物への興味を示します。
※わたしの青春といえばGLAY。有名曲もいいですが、この曲はベースのジローさんがつくった曲。歌詞もじんわりしみじみします。
※郷ひろみさんの「ゴールドフィンガー」の元曲です。でも、リッキーマーティンさんの他の曲もすごくいい曲多いんですよ!このジャケットのアルバムぜひ聞いてみて!
※この曲はもうイントロが神だし、思春期のわたしの心をぐっとつかみました。大人になってから聞いてもとてもいい曲。若い子にいっても知らなかったりするからジェネレーションギャップ。略してジェネギャ。
そして、離れていた音楽への興味が再び戻る事になります。 姉が吹奏楽を小中高と続けていた事もあり、小学校中盤に吹奏楽に入ります。楽器も姉の意思を継承しトロンボーン。
大きすぎる才は隠そうにも表れてしまうもので、初日マウスピースを手渡され「これが吹けないと楽器はならない」と渡され見事に一発で弾いて見せました。
その時、世界は一瞬震え、世界中のトロンボーン奏者は何かを感じ取り、空を仰いだと記されています。
しかし一方で、大きすぎる才は自分を死へと誘う諸刃の剣。楽譜が全く読めないという致命的な事があり、「読めるまでは大太鼓」とパーカッションへ移動となったのです。
はっきりいって、楽譜をよむ事をしようとしなかったので、リズムに合わせてなんとなく叩いていたという記憶しかありません。発表会では曲の山場に大太鼓のパートがありましたが、気持ちよく叩いていたら「叩かなくていい」と、ティンパニーの方と一瞬スイッチするという神技を披露。トリプルアクセルを決めながらの楽器シフトは中々見られません。
指揮者と目線を合わせながら叩く大太鼓の熱気に煽られ、パートがなかったティンパニでしたが、私のなかのアーティストの血がうずいてしまいちょっとだけならと、ティンパニを叩いた時の、指揮する先生の表情は、今でも僕の胸に「あまりにも強大な才をむやみに体現してしまうと、一般の人に絶望を与えてしまう」という教訓になりました。
時は中学生になり、ここで再び音楽と出会う事になります。
テニス部に入部し、ワックスをつける事を覚えボサボサ頭。ここで、異性を意識し始めます。性欲花開の音がしたわけです。
僕の中学時代「もてたい」
それしか考えていませんでしたが、平安時代ではオカメ顏が美人と言われたように、この頃の私のルックスは前衛的すぎて時代が追いついていませんでした。よって、私は考えたのです。「武器がいる」と。
そう思いバンドブームの背景もあり、同志をあつめバンドを組むわけです。
片親だったんですが、食べれないほど貧乏でもなく、でもちょっと周りの友達と今考えれば、住んでる家も、親が持ってる物とかも違ったなぁ、という具合の家庭でしたが、「ベースを買って欲しい」という私の要望は却下されました。
意気込んで「よし、バンドやるぞ!みんな、選択授業は音楽な!」
と誓ったのに、楽器を持てず。他にパートはない。きっと、あの時楽器を得られず音楽室の片隅でタンバリンを極めていたら、今のタンバリン芸人ゴンゾーさんの地位は危うかったと思います。
しかし、中学を終え、「もてる事から一人の女を愛す事」にシフトした従兄弟がお下がりでよければベースをくれると言ってくれたんです。
不思議なのは、あの時の親の顔。私よりも喜んでいた。大人になり親と飲む事もあり、処処で「貧乏だったけれど、それを子供には感じて欲しくなかった。」というのは、きっとこういう所に表れているんだと思います。感謝だぜ、マム!
武器を手にいれた私は、大好きだった「GLAY」をやりたいがため「みんなのやりたい曲やろう!」とあつめたメンバーを完全に無視し、ミスチルもラルクもルナシーもやらずGLAYコピバンを3年続けました。この時、ようやくタブ譜で読むのがカッコ悪く感じ譜面の読み方を覚えました。完成したものに魅力は感じない、ミロのビーナスの腕先を想像するような完成されていないものに、洗礼された魅力を感じる年頃だったので、今でも中途半端に読める知識です。
さて、この頃から僕は将来の夢が虫研究家から違うものへ変化していきます。
ベーシックはGLAYでしたが、彫刻刀でフレットを削りビリーシーンに近づこうと争いネックが曲がり悲しみ、意外ともてない憧れたバンドマンと自分のギャップを埋めながら、自分の未来に一つの光をみつけました。
※早弾きっていう音がもうかっこいい。技っぽい。特殊能力っぽい。そういえば、今年ミスタービッグまた日本でライブやるんですね。 ギターはまだリッチーなのかな?
※ビリーは動画で見るとその脅威がわかりますね。何このスパッツ。なにこのストラップの短さ。なにこのリストバンド。なにこのテクニック。同じベースじゃないみたい。
その光とは。。。
そう、『美容師になろう』とこの時誓ったのです。
楽器が輝いてもだめだ、自分がカッコ良くならなくちゃもてない!(物理
不純度100パーセントはもはや純度100パーセントといえるだろう。
「中途半端な正義が一番の悪」 かの松本人志さんがドラマ「伝説の教師」で言い放った名言です。
※このドラマで使われてるサウンドトラックも神なのでぜひ聞いてください。残念ながらiTune storeにはないんですね。
でもでも、悪でも正義でも、そこにあった気持ちは本物でした。
世界で活躍する美容師になろう。
そう思いました。
高校は進学校に進学。英語以外はまるで手はつけず、選択授業も音楽ではなく美術へ。
彼女なんかもできて、バイトをするようになり(親には内緒)夜遊びを覚え、友達はバイクに乗り出し、小学校から一緒だった友達とも離れ、色々なところから集まった高校という場所は「自由」といえば聞こえはいいが「義務教育」で否応なしに世の中に相手にされていたのに、急に自分の価値が薄くなって、存在感がなくなったような虚ろな感覚でした。誰も相手にしてくれなくなったような。
それでも、毎日何か起こらないかと、「ワクワク」はしていました。それでもただ流れていく時間は滞り、逆に何もない時が過ぎていったんです。
その頃は、今のようにスマホではなくガラケー。
ツイッターやインスタではなく、プロフとmixiにスタビ。田舎だったので、今じゃラップトップくらい一家に一台あるでしょうが、その頃はありませんでした。今より時間を持て余したが、田舎じゃワルぶってバイク乗るかタバコ吸うか駅で彼女と一緒に過ごすか。
なんとなくあった価値観は、「みんなと一緒は嫌」。バイクは親が反対していたのをしっていましたし、タバコは興味がありません。今では吸いますし、当時自動販売機でタスポなしで誰でも酒、タバコ買えていたことを考えればよく吸わなかったなぁ、と思います。
そんな時間を持て余す青春。
友人の兄貴がダンス教室をやってるということで最初の一ヶ月無料だというので行くことにしました。 その時は行ったこともない「クラブ」の営業前を使ってのダンスレッスン。
他の高校生でクラブに行くであろう人は少ないだろうし、「まだ未開拓」なエリアというのが、ダンスどうこうよりも行ってみる動機だったと思います。
美容師になると決めてはいましたが、「美容学校を出ないといけないから」という理由でそのために何かをすることは、英語を頑張るくらいで、ほかは何もしていなかった。しなくていいと思っていた。
今考えれば、あの頃、あの歳でもいいから海外へ行ってしまえばと思います。
テレビ番組「めちゃめちゃイケてる」で岡村さんと、ガレッジセールゴリさんがブレイクダンスバトルしているのを見てダンスのジャンルは自然に決まっていました。
「ブレイクダンス」4大ヒップホップカルチャーの一つ。 B-BOYのBはブレイクダンスのB。そのくらい歴史のあるダンスです。 ラップ、ブレイキン、DJ、グラフィティ。 そのブラックカルチャーにどっぷりはまっていきます。
ターンテーブルこそなかったものの、オールドスクールをルーツとする曲を聴き漁り、CD代にバイト代は消えて行きました。
今みたいに、ネットで調べりゃ一発!シャザムもサウンドハウンドもない。
クラブに通って、いい音さがして、DJに曲名おしえてもらって、東京の渋谷タワレコに買いにいく。ブックエースに借りに行く(都会でいうツタヤ)
ブラックカルチャーといってもヒップホップだけじゃありません。バンド時代の交友もあったので、ジャズやブルースといった曲もかじり、そこから派生するスウィングやダンスミュージックも聴くようになりました。
小学生時代持っていたカセットウォークマンも壊れて、時代はMDでした(響きがなつかしい)
こいつはとっても便利でSONY製のコンポをもっていたのですが、なんと、曲を0.1秒ごとに切り貼りの編集、さらにフェードもかけられる。
ダンスをする時の音源はこのコンポで朝までちまちまと編集しながらつなぎ合わせていました。ミックス機能こそなかったものの当時の高校生レベルでは良くやった方だと思います。
ブレイクダンス自体は、入門の技のレベルが高くて一緒に始めた子たちはぞくぞくと辞めていってしまいました。
1ヶ月頑張らないと、一つも技をできずに終わります。
ヒップホップカルチャーの先駆けでもあるアフリカバンバータは、ギャング同士の抗争で兄弟の命が奪われたりする現実を嘆きました。
そして、こういったんです。
「血で血を洗うような事をやめ、ラップでグラフィティでDJでブレイキンで争え。」
そういった取り組みが今のストリートシーンへ発展したと言われています。
CDをジャケット買いする癖はこの頃着いたと思われます。
※このアフリカバンバータのCDが欲しくて当時、かなり探すのに苦労したのを覚えています。 今じゃその辺に転がっているだろうと思ったのですが、レコード屋いかないとないかもですね。
争う相手いなかったですが、机はグラフィティの練習でいっぱいになり、休み時間はダンスの練習、放課後は、駅前の全身が写せるガラス窓の前で朝までダンスを練習。
BOTY 2005 - ICHIGEKI (JAPAN) - SHOWCASE [OFFICIAL HD VERSION BOTY TV]
※この頃、BATTLE OF THE YEARという世界大会が行われていて、そのビデオを買うとヒーローだった
その頃、やっと時が動き出した。血が流れ出した。学生であるが働けて、義務で勉強をやらなくなり、なんとなく憧れた自由というリングが自分の時計の針にかかっていたものが破れ、「生きている」感じがした。 もちろん、いきなり雷のようにその感覚が落ちてきたわけではなく、お金を稼いでも、勉強をしても、今の何も変わらなかった今が動き出した。
そのくらい、ダンスとの出会いは私にとって運命的でセンセーショナルなものでした。
バンドも、ダンスも各3年間。当時としては必死に、直向きに、楽しく取り組めていた。
なんとか進級して、卒業もギリギリだった私ですが専門学校へ無事行けました。
そして、一人暮らし。
専門学校は東京へ進む事も考えましたが、周りがたくさん都内にいくので「じゃあ俺は大阪にしよう」とある一校に絞り込みます。
無事入学、引越しが決まり落ち着いた頃聞いた話だと、人気の学校だったらしく、倍率は20倍以上。滑り止めなぞ考えていなかった私はゾッとしましたね。あれで落ちていたら、行くあてを無くし、きっとネオニートだったのではないかと。
しかし、運命は私の手の中に。 そのくらいあの頃は根拠のない自信がありました。楽しみでもありました。
中学後半ころから抱いた不純ではあるが「美容師」という目標の一歩目を踏み出せた事。
その学校は、ある程度自由な学校ですが技術に関して厳しかった。
月に一回技術テストがあり、学年での順位を張り出されるというから自信満々の私は一位しか目指してませんでした。
学校入学前に決めていた事。 決して友達を作らない。誰とも喋らない。技術を磨く事になんでも使う。
がむしゃらに練習しました。 寝る間もないくらい、毎日毎日。
そして初めてのテストの結果が張り出された時。私は絶望しました。 絶望です。 家で泣きました。
1位じゃなかった。
確か17位とかそこら。
すべて投げ打っても上には上がいた。 翌日には「こうでなくては面白くない」とぶつぶつ言いながら立ち直っていましたが、本心ではショックでした。 折角手にいれた一人暮らし、未開の地大阪、関西弁の可愛い子、はじめてきいたなんでやねん。
そんなワクワクそっちのけで、脇目も振らず練習したのに、一番じゃなかった事。
どんな奴が一番なのかと、同じクラスの自分より上位の人間を観察しました。
するとわかったのは、
「家が美容室」や「放課後家ではなく学校で先生に教えてもらいながら練習」、「友人と技術について語り合う時間」という私にはなかったものと都合のいい言い訳。
邪魔だと思って、見て見ぬふりをしてきたもの。生まれた環境はもうどうしようも無いにしても、後者二つは技術向上のためと自ら断ったものだっただけにショックでした。
アニメ「俺の青春ラブコメはまちがっている。」でもあるように、入学初期に友達を作る事をやめるとその後復帰は絶望である。一番の問題はプライドではあるにせよ間違いなく漕ぎ出し方を誤ったと感じた瞬間でした。将来生まれ変わるなら熊になりたい。
※比企谷八幡は本当に共感出来る。そしてこのアニメは神でした。
当然、プライドが高い僕はその後バイトを始めながらも、親の仕送り(まじかーちゃんサンキュー)と共に練習にかかるマネキンの購入や、カラー剤の購入代に使い、他の時間を練習に使いながらも一位にはなれず一年が過ぎていって、その頃にはもうなんとなく悔しいとかはなかった。 しょうがないんだって思っていた自分がいた。
ぜひこの頃の自分に「食戟のソーマ 全巻セット」をあげたい。
作中の
「一個しか正解知らない奴はもっとすごいものにはたどり着けない気がする」
「積み上げた努力を天才という一言でかたずけてしまう残酷さ」
って表現があったんですが、まさに何かひとつに固執してどうしたらよくなるか。より、何故一位になれないかの言い訳探しが多かった学生時代。
2年になったある日。「希望者海外研修」という申込み用紙が配られました。 中学の卒業旅行以来、学校行事は一切出席したことが無い(本心で団体行動が嫌いだった)ためためらったものの、まず目指している海外そのものをこの目で見なくては。という使命感から申し込む事に。月4万7,000円の家賃に10万の仕送りがあってバイトもしていた。親が学費も出してくれていた。 本当に社会人に成ると何て情けない事。と思うけど、当時の私は「成功するためには必要な犠牲、将来返す」と思っていたため、なんならもっと出せるなら出して欲しい。と思うくらいは社会人的観点ではクズ野郎だったのでお金を貯めようと思ったらすんなり溜まった。
そして、海外研修説明会。
ロンドン、パリ各一週間。機内を除いてホテルでの滞在。なんと、それは2人1組の相部屋。
記述の通り、ここまで一切友達作りをしてこなかった自分にとっては「なんたる拷問」と唇が震え無いように必死に噛み締めその時を待っていた。
そう、他に余り物がでてくる瞬間を。
(こっから便宜上記憶が新しいのでノベルっぽく書きます)
「なぁ白鬼。」
友達もいなくて一人倍の値段払って一人部屋を希望するか、ここはこの間掃除当番が一緒だったあいつ、あ、くっそ他の奴と組んでる。と四苦八苦している時、話しかけてくる影一つ。
「僕と一緒の部屋にならへん?」
と声をかけてくる人がいる。
「え、なんで。え、なんで。いや、乗るしか無い。このビックウェーブに」と脳内混乱中であったが、そいつは以前から同じクラスにいた学級委員長。接点はなかったものの、水が高い所から低い所に流れるように、りんごが重力に逆らえず地面に自らの重さで池に落ちるようにあっけなく。
「そうだよね」
と、よく分から無い返事でオッケーの意を伝えた。目線だけは負けじと合わせてやった。
その赤鬼は以前から授業中におしゃべりで五月蝿くなると「うるさいでー」と委員長っぷりを発揮していた。でも「ノリは悪そう、真面目」(上から)がその印象で、私と同じダークサイドに片足踏み入れていた。私と違うのはきっちりグループにアサインしていて、お昼お弁当を友人と食べていた。
朝早く練習しに教室に入ると、赤鬼も大概いてずっとZEEBRA,般若、MUROなどのキックの効いたサウンドをヘッドホンから漏らしながら練習していた。
私はというと、弁当など作る時間もなく、かといって近くのファストフードやファミレス、その他コスパのいい店には学生が溢れており、一人を望んでいながら、「独りになっちゃっている」という哀れみは受けたく無い。とかいう、自意識の塊だったため、おっさんしか足を運ばなそうな定食屋にコソコソと通っていた。
なんせ500円以上もランチで取られるので、コンビニでおにぎりを買ってイヤホン爆音(その頃はGulliver get,Akiko,などのjazzよりの音楽が好きだった。)で教室で食べ、すぐに練習を初めて周りを見ないよう時間をつぶしていた。
ガリバーゲット : 紅い月~あの人に愛されますように~ Gulliver Get
※このグループ超好きで今でも聞き返すんだけど、解散しちゃったんだよね。残念。iTunes Storeでももう販売してなくて今は、どうしているんでしょう。デビュー作品から次の作品は曲調かわってますが、ボーカルの声が素晴らしいから関係ない
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説明会を終え、成り行きで一緒に帰る事になった。不器用で口下手で面白く無いからこいつは友達ができないのだろう。と自分が受けたく無い哀れみをそっくりそのままそいつに向けていた。話すこともないから「さっさと信号早く変わらないかな。」なんて考えていた。
「白鬼。」
なんで、こいつ呼び捨てやねん。さすが関西人やわぁ。
と一年話すことなくても移ってしまった関西弁で心でつぶやいた。
「ありがとうな、この間。ずっと独りだと思ってたから同じ事考えの奴いて嬉しかったからもっと話してみたくて。他に組みたい奴いたらごめんな、ありがとお」
なにこいつ、なんの事言ってるの。独りって自分一緒にランチする友達いるやん。 え、なに。「ありがとお」の「お」の部分で急に関西弁っぽくなるじゃん。
と混乱。
目があさっての方向を向いていたせいか、赤鬼は察して
「いや、この間。。。」
と慌てた様子で説明し始めた。
「授業中に五月蝿いと僕結構注意するねんけど、最初の方は皆んなも聞いてくれてんけど最近は慣れてしまっていくら注意しても聞いてくれへん。僕もバイトしてるから眠い時あるし寝てしまう事あるけれど、授業聞きたいって一人でも思ってる人おったら可哀想やろ。五月蝿いのだけは勘弁して欲しいねん。親の金で来てるんだから僕だって本当なら一語一句聞きたいしな。どこで何が役に立つかわからん。知識はあっても腐らへんし、敵になる事もないやろ。で、すっごい五月蝿い時があってな。いつもどうり注意したんやけど全然静かにならん。そんな事思ってたの僕だけなんかなぁ、ってもう黙るのは僕にしよ。って思ってたらな。白鬼めっちゃ怒鳴ったやん。」
あぁ、思い出した。確か、物理の授業だ。美容の専門学校とはいえど、美容師国家試験には物理とか化学の問題も出るのだ。その授業は外部の先生に委託されているが、物理の先生は大人しめで若い先生。 怒っても威厳がない。なおかつ声が小さい。
その日、筆記のテストの試験結果が出た日で、もともと理数系が得意だったのに物理で一問落とし、イライラしていた。
そんな最中、先生の声は小さい。周りは五月蝿い。限界を超えた。
「うるせーーーーんだよ、てめぇらギャーギャーピーピー中坊かよ。」
そう叫んだ。アドレナリン出まくっていた。それでも、前にいた生徒がクスクスと話の続きで笑っている。
考える前に足が出ていた。前の椅子を思いっきり蹴っていた。
「ねぇわかる?五月蝿いの。俺怒ってるの、ねぇわかる?そのあとにクスクス笑いやがって、喧嘩売ってんのか、こら。上等だまじ。その前におまえ俺の授業料はらえ。無駄にした時間を返せ」
隣の授業の声が聞こえるくらい静かになった。
「怒ってくれてありがと。じゃあ続きね」
と先生の声が今までにないくらい通っていた。
いうまでもなく次の授業には何事もなかったかのようにうるさかったわけだが。
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「あぁ、あの時ね。俺の虫の居所も悪くて。高校じゃ俺も授業中起きてたことないし。弁当食べてから登校してたし。気持ちはわかるんだよね。おしゃべりにムカついた以前に、自分にもムカついてて。」
そんな事忘れてただけに、ましてやその事で感謝されるなどと思ってもみなかったから単純に驚いた。
「ずっと五月蝿いのを五月蝿いというのは正しいと思っててん。でも、誰もいい顔せんやん。強く言えば、宥められるのは何故か僕やし。それちゃうやん、注意されるべきは僕ちゃうやん。ってずっと思ってた。 だから、普段何も喋らん白鬼が怒った時はびっくりしたし、嬉しかった。」
あぁ、なるほど。 最初は、自分を援護射撃してくれた事に感謝されているのかと思ったが、そうではなかった。 自分の正義がゆるぎそうで、まわりがおかしいんじゃなくて、自分がおかしいんじゃないか?ってところまでいってて、そこで自分の正義に同類項であろう意見と出会う。つまり、俺への感謝というより、神への感謝といったところか。オーマイゴッドと欧米人なら心で叫ぶところだ。。。。違うか。
しかし、この感謝の意は当時の私の考えとは矛盾するところがいくつかあった。 何故なら、親の金どうこうはどうでもいい。自分が聞きたいから自分の邪魔になるから怒りが湧いたわけで、誰かのためにも何かをせねばという使命感みたいな物はなかったから。
すべて自分のために。この世界も時間も人も。邪魔なものはいらなかった。人間という生物としての欲求が必要だと叫ぼうとも無視した。そういう無情な人間に憧れたし、そうしないと世界では通用しないと思っていた。
でも、その時芽生えたのはそんな事ではなく、ちょっと話してみたいな。というところだった。 そして、誰かとつながる事に安心と嬉しさを覚えた。というか思い出した。
初めての海外。初めてのパスポート。残り一年弱の学生生活を残し、自分の描いた大人と、将来が近くなった気がした。
※その時のヘビロテ。
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パリ・シャルルドゴール空港に着いて漸く、自分の国じゃない事を思い知る。
お金が違う、言葉が違う、空気が違う。
不安ではなく、期待感。 世界とはどこかわからなかったが、その世界の中にいる気がした。
外国の人が日本に着くと、発酵の国日本による酵母の何とも言えない香りがする。とい人がいるらしい。
パリは、なんていうか土の匂いがした。
観光名所を一通りまわり、夜は現地サロンでのデモンストレーション。
シャンプー、カット、カラー。技術は何をとっても日本が一番だと思っていた。だから、日本人である自分が世界にでたら大きく羽ばたけるとおもっていた。
そして、パリ一等地にあるヘアサロンでのデモ。 衝撃だった。 接客業ではなく完全にアーティスト。切るための考えも違う。カラーも薬からして違う。 日本人でも千差万別髪質があるのに、そこにいたモデルだけで、中東系やアジア、欧米人と様々。髪も黒だけではもちろんない。
銀行の受付をしているという、女性のモデルの方はかなりのハイトーンだ。 もちろん、素の髪が明るいからそれで職場NGとはならない。 でも、黒髪にしたってNGにはならない。
日本より技術の幅が大きい。 引き出しの数が違う。 使えるプロダクトの数が違う。 サロンワークとアーティストとしてのショーケースが絶妙に混ざっている。
赤鬼も衝撃を受けた様子だった。 しかし、どこか納得していた。
部屋に戻る前にスーパーにより、ビールを買い、その日見た衝撃を話し合う。
技術がすごいというより、できる幅がすごい。感性がすごい。 まず、ハサミで切らない事があった。 日本にもレザーといってカミソリで髪を切っていく事はあるけれど、原理は一緒なんだけど、指にはめる形のレザー、フィンガーアーマーの爪部分がカミソリになった武器のようなもので髪を切っていく。 それがすごいとかじゃない。その道具が生まれる事がすごい。 自身の手のようにハサミを動かすのではなく、自分の手をハサミにしてしまう。いや、もうハサミではない。武器だな、あれは。
これだけではなかった。雪崩のように言葉かとまらない。
ふと。
今帰ってきた部屋が、もし一人だったらどうしていたのか。
話す相手もいなくて、ただただ満足しただけなのでは。。と。
「僕も衝撃やった。」
そんな思考を、遮るように赤鬼がいう。しかし、同じ衝撃でもその語勢は私のものとは明らかに違った。
「海外は日本とは違う、それは分かっててん。けど...なんていうかな。 日本でいいかな、と思う。僕は正直あれで全てのお客さんを喜ばせるのは無理な気がした。カットされてる最中のモデルさんめっちゃ不安そうやったで。国や文化が違えば、評価されるものも変わっていくんやろうけど、僕は日本で日本人として評価されるのが、目標になったな。」
思考が一瞬止まった。
赤鬼は落胆していたわけでも、なく同じ衝撃のなかで、自分がなりたい自分は日本にある事を悟ったようだった。
何が正解じゃない。誰になりたいわけじゃない。将来、なりたい自分がある。 そのフィールドが日本でしか叶わないと。そう、言ったのだ。
「きっと今日見たことも、ショー用のヘアカットだし全てじゃないと思う。 また、ロンドンにいったら別のもの見えるよきっと。」
私はとても赤鬼の意見が大人に感じていた。私はただ、新しいことをみて、知らないものに触れて興奮しているだけじゃないかと。新しいおもちゃをみせられた子供がはしゃいでるように自分が感じられた。
そして、また。
ふと。
今帰ってきた部屋が、もし一人だったらどうしていたのか。
そんなことを頭の片隅で考えながら、ビックマックは海外でもサイズは一緒で作り方が雑だった事、飯は意外といける事、そんな異文化について話しながら夜は更けていった。
その時はまだダンブラウンのダヴィンチコードが世に出ていなかった(翻訳されてなかっただけかも)ので、ルーブルのガラスのピラミッドを作中「パリの汚点」と揶揄する表現は後に物語を読んでいて「確かに」と頷いたものだ。
※学生の頃、本を読む事を始めたわけだが、それのほとんどが啓発本といわれるもの。あのときの私には確かに響いたし、今手に取っても、そのときと違う自分に必要な言葉が溢れてる。ただ、人生を過ごし、大人になった、もしくは卑屈になったため「いい言葉はいい人生をつくる。だけどお腹は膨らまない。」としたいところ。
※上記にもでてきた言わずと知れたダンブラウン著「ダヴィンチコード」です。翻訳もよく、謎解きに必要な資料なども添付されてる。携帯片手にググりながら読むもよし。人生ではじめて寝る間も惜しんで読んだ本。
翌週、ロンドンへ向けユーロスターに乗り込む。海の下を渡る新幹線のようなもの。
小さい頃通っていた塾の先生に「飛行機から日付変更線をずっとさがしていた」と言っていたのを思い出した。 探しはしなかったものの、国境を渡る、海を渡る、その瞬間がいつなのか。その瞬間を探して車内でそわそわしていた。
正直ここまで、手配された旅行なので、困ることは一切なく誘導されるまま旅路は文字通りレールの上をすすんでいっている。
初日、観光後自由行動となった。 飯がまずい、天気が悪いでいいところ無しできいていたロンドン。 しかし、なぜかここに人は集まる。やたらと高い。当時1ポンド260円もしたので、水のペットボトルが200 円弱。
きっと、日本で言えば何て事のない、渋谷の道玄坂の途中を歩いているような所なのだろうけど、どこを歩いていてもその風景に飽きる事はなかった。
パリのシャンゼリゼ通りはもっと煌びやかだと思っていたし、みんなオシャレなのかと思っていた。
まぁ、これは日本人なら寿司と天ぷら大好きみたいなステレオタイプなんだが、18年国外に出たこともない田舎育ちの当時の私を誰が責めれるだろう。
シャンゼリゼ通りで「枯葉」を聞いてカプチーノでもきめたい。と思っていたが、もちろんテラスでコーヒーしばくことなんてできるが、それ以上に人の多いこと。町の汚いこと。
ハイブランドの店舗にはアジア人がひしめいている。
全然外国っぽくない。そんなパリにちょっとがっかりしたものの「そんなもんだよね」とも思った。
だがしかし。ロンドンはどこに行っても何してても可愛いしかっこいい。
TUBE(チューブ)と呼称される地下鉄の入り口が所々に「undarground」の看板と一緒にある。
お土産屋にはそのマークがはいったTシャツまで売っている。
町を走る赤色の二階建てのバスの置物。パリの小汚い連結バスとは大違いだ。
英語圏、ヴィダルサスーンやTONI&GUYといった世界的に有名なサロンがあるLONDONだったが、観光でいうと私の中でパッとしなかったし、パリのホテルの朝食は絶品で、LONDONのホテルでは何を食べようか悪い意味で迷ったので、パリに気持ちが傾いていたところもあった。
ただ、街並み、治安の良さや雰囲気はロンドンの圧勝。
「最初っから君に決めていたんだよぉ、やっぱりロンドンですよー」
と心で浮気の言い訳をした。
しかし、頭ではすぐ日本に翻訳される。 日本の地下鉄のマークはそんなに覚えていないけれど、誰が公共機関のロゴが全面に押し出されたTシャツを買うのか、と。 バスだってそうだ。
赤色二階建てのバスはもちろんかわいい。でも、東急バスの置物なんて、どこのお土産やにもおいてないんじゃないか?と。
一瞬迷ったけれど、その思考が手を止めさせた。
「台所」と刺青を入れた外人を都内で見かけた事があるが、なんとなく、この外国のものがカッコよく見えてしまう衝動を経験した今、何でそんな文字を入れてしまったか、少しわかった気がする。
「白鬼、集合場所バス何分やっけ?」
近くの公園で座りながらビールを飲んでいると赤鬼が聞いてくる。
「うん16:00じゃなかった?」
「あかん、間に合わへん!!」
二人で、その場に置いてあったショッピング袋を持ち上げ走った。
自由行動前、引率の教師がこう言い放った。
「この場所に16時にバスを迎えにやります。早く帰りたい人は直接ホテルに戻ってもかまいません。ただし、16:30までに全員がホテルに戻らない場合、翌自由行動は無しになりホテル待機にします。」
全力だった。
道はなんとなく覚えていて、地図を見ながらバスも地下鉄も使わずに移動していたので、ホテルの位置は二人とも完璧だった。
道は混んでる。30分までにとはいっても、とりあえずバスよりは早くつかねばならない。
そんなに、荷物はないけれど、走りやすい格好はしていなかった。
革靴に細身のジーンズ、上はシャツにコート。
赤鬼は全身有名デニムブランドのセットアップにショルダーバック。
そんな、ロンドンにも、なかなか居ない格好をしたアジア人二人が全力疾走している。
その現状が途中可笑しくて息を切らしながら二人して笑った。
「これ、見方によっちゃひったくりのあとの逃亡やで。 警察きよったら、わるいけど盾にするで。屍は越えてゆくもんや。」
「くだらない事いってないで走って。 けっこうギリギリだから!!」
赤鬼は普段からそうだけれど、抑制されるとそれが「フリ」だと感じてしまう関西人気質でそれからもお喋りもとまらず、
「ウィーアージャパニーズ、ウィーアーブラザー、ウィーアーチルドレン!!」
とずっと連呼していた。
なんでも可笑しく感じた。 海外に来て、街中を走り回るとは思ってもみなかった。
主人公感が半端じゃなかった。
「いやーなんとかセーフやったで」
「はぁ。。赤鬼が。。。はぁっ。喋らなきゃもっと早くついてたよ。。っぁぁ」
腰に手をついて息を整える。
ロビーに集まる他の生徒数からして最後ではないようだ。というよりむしろ、ほとんど集まっていない。
「自分らめっちゃ汗かいてるやん!なんでそんな走ってきたん?」
先生が笑いながら寄ってくる。
「いや、もうギリギリで。時計見たらバスがでる時間過ぎてたんでダッシュですよ。」
「え、まだ一時間も前やで!」
赤鬼と顔を見合わせ、笑う。
そうだった。パリとロンドンは1時間時差があったのだ。
ロンドンでもいつくかの有名サロンでデモンストレーションを見学。
私は相変わらず感激し、赤鬼は相変わらず日本の技術への確信を得ているようだった。
そうして、「初めての海外旅行」は終わっていく。
赤鬼以外にも、フライト中、隣だった子や、レストランで一緒だった子たち。
何人かの生徒と話した。
一年間必死に守り続けて来たものは、壊れるというより溶けていったという表現があっているだろう。
張り詰めていた肩が軽くなった気がした反面、背中には過去の自分を裏切ったような罪悪感もあった。自分の16年出会ってきたもの、事を自分で否定してしまうな。
友達や、娯楽というものがアニメカイジで節約の最中飲んでしまうビールに思えてしょうがなかったのだ。
※このシーンは本当に最高です。
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自己紹介その②に続く。。。。(なげぇよ!!)